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CAST VOICE 第一声

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KOKIAの写真

CAST VOICE 第一声:「小さい頃から、こうなると思ってた。」(2006年)

  • 扉絵タイトル: 音楽は言葉と一緒。伝わらないとね。
  • サブタイトル: もうひとつの独立人、独白、その一。KOKIA・ミュージシャン。撮影 緒方秀美。

たとえるならマラソンランナー。かわいらしいルックスに、だまされてはいけない。どうしたら自分の歌を伝えられるのか、すぐに諦めず、いろいろ考えてみる。悩みや苦しみを受け入れて、歌い続ける彼女のプロフェッショナルぶりに、みんな圧倒されちゃってください!


KOKIA: ミュージシャンになろうっていう話は、すごい入り組んでて難しいんですけど。ただね、この仕事始めて思うのは…やりたいことができてる中でも、苦しいこととか悩むことが常にあるんだけど、やっぱり続けることが大事なのかなって。

— そもそも音楽を始めたきっかけは?

ヴァイオリンを小さい頃に習ってたんだけれど、それは祖母からのお願いみたいなことで、孫達に10年なんでもいいからお稽古事を続けなさいっていう。上手にならなくてもいいし、もちろんプロにならなくてもいいし、なんでもいいから10年続けなさいって。

— とても素敵なおばあさんですね。

なぜかというと、10年続ければ、なにか肥やしになるだろう。10年経てば、見えなかったものも見えてくる。そんなことを子供の頃から言われてて。

— 実はヴァイオリンはあまり好きじゃなかったとか。

でも10年以上続けて、今はすごいタメになったと思うし。それからピアノを弾くようになって、曲を作るようになって、大学在学中にデビューしたんですけど。

— ほかのお孫さんも何かしら10年やっているんですね。

その祖母の言葉が引っかかるときがあって。挫折っていったら大げさだけど、悩むことがあったりすると。答えを出すのって、いつでもできるじゃない?

— たとえば辞めてしまうとか、逃げてしまうということ?

だけど、答えを出すのはいつでもできるからこそ、もうちょっと頑張ってみようって思える。それが新しい結果につながっていくんですよ。

— ヴァイオリンを始めたのはいつぐらい

2歳半とか。

— 音楽好きな家庭だったんですね。

音楽好き一家に生まれ、ヴァイオリンを習い。ピアノも好きだし。曲を書いたりして歌ってるのが楽しくって…上京物語みたいに、東京に出て私は歌手になるんだ!というのはまったくなかったんですよ。わりと小さい頃からステージを観たりすると、「ああ…私はああいうふうになるんだろうな」と思ってた。

— へぇー、すごいですね。それを実現してしまうのもすごいけど。ステージというのは普通のポップス?

クラシックも含めミュージカルとか。エンターテイメントってことですよね。音楽だけでなくて、映画もそうだし。観るたび感動するじゃないですか、子供ながら。ああいうふうに人に感動を与えて、楽しませる仕事をする人になるんだろうなって、私もしたいなって思ってました。

— それは何歳ぐらいの時から?

ん~、幼稚園、小学校…

— 直感でそう思ってた。

今もけっこう感覚で生きてて。自分の直感を信じるタイプなんですよね。それだけではダメな時もいっぱいあるんだけど。

— 具体的に好きなアーティストはいました?

マイケル・ジャクソンはエンターティナーとしてすごい影響受けましたね。今もいろいろ話題を提供してくれる彼ですが、あそこまでいったらすごい。

— 小学生でマイケル・ジャクソン!?

初めて買ったCDがマイケル・ジャクソンの『BAD』なんですね。(※1987年発売/世界25ヶ国でアルバムチャート1位を獲得、シングル5曲が全米チャート1位に)輸入版買って、もうすごい感動して、私はこの人になるんだって思ってました。


「音楽が心の扉を開いてくれた」

— 小5と中2の時に、アメリカへ短期留学したとか。

KOKIA: 音楽の勉強をしに、何ヶ月間か独りで寮に住んで。今考えると母にすごい感謝なんですけど。

— 小学5年生を単身でアメリカに行かせるには、勇気がいりますよね。

でも、アメリカでの経験は、ものすごく人間的に成長した出来事でした。音楽的にも…たかが何ヶ月だったんだけど、私の音楽人生の3分の1ぐらいの考え方、音楽に対しての触れ方が形成されたんですよ

— なるほど。

ちょっと殻を破ったっていうか。日本の教育に締め付けられたかんじだったんですけど、その時はすごく自由で。

— たとえば、音楽は防音室でやりなさい、とか?

近所の騒音問題があるとか、一日何時間練習しなさいとか、窮屈なイメージがあるけど、アメリカでは自然の中で練習したり。なんだろうな…言葉の壁を越えてみんなで音楽をしたり。ほんとうに音楽で通じ合えた。

— どんなスクールだったんですか。

その学校がすごく良かったのは、音楽だけじゃなくて、ぜんぶエンターテイメントっていう捉え方をしていたんです。女優になりたい人もいれば、ダンスする人、ペインターになりたい人もいて。いろんな芸術を求めてみんなやってきてた。

— なるほど。だからいろんな意味で、音楽との向き合い方が変わったと。

もう一つ良かった点は、小学5年生でなかなか親元を離れることってないじゃないですか?そうすると、普段考えない親のありがたみとかを体験するわけですよね。毎晩夜になると独りベッドの上で「ああ…ママ何してるかな」と思ったり。

— 当時はコレクトコールや手紙しかなかった。

今みたいにインターネットが普及してなかったんで。手紙が一週間に一通届くだけで、すごくありがたいんですよ。だからこう…一言一言選びながら。電話のなんでもない会話も、すごいありがたみがあったり。そういう気持ちが、いま私の創り出す歌詞の世界観に出てますね。

— ええ話やぁ~(涙)

そうそう!ある出来事があって。アメリカに行った当初はカルチャーショックで2週間くらいだんまりしてたんですよ。けっこう社交的な方だったんですけど、英語がしゃべれないことへの歯がゆさで…悲しくなっちゃって。

— 日本人も全然おらず…。

でも、あるときクラスメイトが私のヴァイオリンケースを持ってきて、フタをあけて、差し出すんですね。ジェスチャーで弾いてごらんって。なんだろうと思って弾いてみたら、その子がピアノ弾きだして、その友達がフルートを吹きだして、セッションみたいになったんです。

— へぇー!

英語がしゃべれなくても、「アナタの共通言語は音楽でしょ?みんな音楽をしにきてるんだから、音楽で楽しく通じ合えるじゃない。」そう教えてくれたのかな。不思議なんですけど、その日を境に逆に英語もしゃべれるようになったんです!


心のつっかえ棒を音楽がとってくれた。そんな原体験が今のKOKIAさんを創っているんですね。そして話はデビュー秘話へ。(第二声へ、つづきます!)

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